うつ病になった
当時のお話を書いてみます
元を正すと
パニック障害からの併発だったようなので
20代半ばには間違いなかったと思います
精神科通院ではなくて
昨年から内科で出して貰える程度の
睡眠薬、安定剤を処方にしてもらって
今回は多分パニック障害に近いだろうと
安定剤は飲む
飲まないがまちまち
睡眠薬を軽減する
治療に切り替えてる矢先の最近に
安定剤追加してもらってる程度ですので
パニック障害自体が
最初は誤診なのか?
投薬治療を間違えられたらしくて
気がついたら
何錠安定剤を飲んだら
この具合悪さが消える?と
2錠が3錠にと
どんどん増えていって
お菓子を食べるかのように
安定剤をポリポリ食べてました
そこまで自分がおかしい事に気がつかずに
ガリガリに痩せた体
ポリポリ食べてる姿
何を食べても味すらしなくて
ぼんやりしてる姿を見て
当時の彼氏に
いや?転院しよう!と言われて
大病院から開業したという
小さな病院に連れていかれて
今みたいな時代ではなく
メンタルクリックとかではなく
精神科、パニック障害と改名されましたが
不安神経症とで
病名も少なかった時代なので
鉄格子のある病棟を
タバコを吸いながら外観をみて
おかしいんだろうな?精神科なんて?と
恥ずかしい時代だったので
転院だけで尻込みをしていて
自分の初診の順番がきて
第一声で言われた言葉
あなた!真っ直ぐ歩けますか!?
いったい薬を何錠飲んでます!?
あなた、今飲んでる薬をやめなければ
私は一切診ません!
やめてから来て下さい!
と、怒鳴られて
何を言われてるかわからないまま
指定通りに薬を
一週間やめて、再診へと
あなた、わからなかったはずです
あそこまで言わなければね
薬物中毒になってたんですよ?
と、言われてポカーンと
誤診か、投薬治療の間違いなのか
わからないままの事実に
なってしまいましたが
穏やかな口調で
あなたね、合わないお薬だった筈だから
私がお薬変えますね
もう大丈夫ですから
指示通りにお薬を増やす事もなく
飲んでみてからまたきて下さいね
と、言われて
何か憑き物が落ちたように
指定通りに薬を飲んでいたら
みるみる体重から、味覚
思考回路までも普通に戻ってました
この間にうちの弟君の計らいもあり
実家に戻って父、母に会わせられ
母はあまりいい顔しないでいましたよ
正直な話
父は
あのな?
親にとっての最大の不幸は
なんだかわかるか?
と、昔なら
怒鳴るような勢いの父が
穏やかに聞いてきて、下を向いて
ごめん、なんだかわからない…
と、答えたら
親にとっての最大の不幸は
子供に先立たれる事!
これだけは忘れるな!
と、言われて
白いものが、髪の毛にちらちら出ていて
あんなに大きかったのに
なんだか小さく見えるな?と
父を見ながら
初めて一緒にビールを呑んで
家出だった為に
数年会ってもいなかったんです
その後、父と弟君が
殆ど寝ずに話し合い
出来るだけ実家には
おかない方がいいだろうとの事で
弟君に
姉さん?あっちで友達いるか?
と、聞かれて
いるよ?
と、答えたら
なら、俺またすぐ送っていくから
友達なんかに話したり頼ったりしながら
頑張ってみな?
と、言われて
弟君、一睡もしてない状態で
宮城県に送ってきてくれました
ありがとう
それからみるみる回復したと思って
病院、薬もまもなく中断して
異様に仕事しなきゃ?
お金なんとかしなきゃ?
と、考えて寝る時間も削って
パソコンを使う仕事だったので
自宅で缶詰めのようになっていて
朝まず起きれなくなってきて
うまく眠る事もなくなって
深夜にぼんやりパソコンを眺めていて
体をベッドから起こす事も
出来なくなっていて
わからないうちに涙が出ていて
生きてる意味あるのかな…と
ぼんやり考えるようになってきて
多分マズイんだろうな?と
這うように病院に行ったら
うつ病ですね、と
理解すらしない彼氏と喧嘩にもなってきて
彼氏より付き合い長い男友達に電話しては
外食したり
この後くらいに最初の旦那と再会もして
これからが本当に長くて
リストカットしたり
未遂がちな事もあり
ボーダーにもなり
自律神経失調症にもなり
DVの時のような
本格的な自殺未遂もして
この時にはうつ病というよりは
DVの被害届に必要になった書類に
家庭内のストレスによる抑うつ状態と
書いてあり
再婚の関係もあって
転院していたので、担当の先生に
あなた、今どうしたい?
と、聞かれて
とにかく笑いたい
自由になりたい
元気になりたい
と、泣きながら答えて
大丈夫です
笑えるようになります
元気にもなりますから
と、言われて
七転び八起きな通院期間と
そんな蓮。だしね?に見守ってもらって
助けてもらいながら
最後にかかったのが心身症
心身症って何?って調べたら
昔で言う自家中毒である事に気がついて
心身症なんか認めない!と
キレたのから一気に回復しました
胃が痛くて眠れなくなる症状も出ていたので
心身症の薬なんか飲まない!と
病院で先生とも大喧嘩にもなり
実は、幼少期に自家中毒の為に
おじいちゃん、おばあちゃんに預けられて
実家に戻った期間が
曖昧な記憶しかないんです
だから、そんなもの認めない
わかってはいるけど
年齢を経て、幼少期の父の考えた事
母の考えて事をよく理解した上で
今更戻れる訳がない
今更小さな時に押された
烙印をつけないで!と
認めるから元気な状態に戻してよ!と
カウンセリングも何度か
病院違いで受けた結果で
あなたのような性格だと
文章を書いて気持ちを整理するのが
いいかもしれないですとの
カウンセリング結果から
site、blog
たまに他に走り書きをして
何か文句ある?と
立ち直りました
勿論
自分、一人の力ではない
最初に作ったdestinyを初め
実は前にもあったのですが
数々作った中で
このおバカ蓮。を見守ってくれた仲間達と
普段を知ってる人の支えだと思ってます
ありがとう
ありがとうって大切な言葉
と、いう文章を見た事がありますが
ありがとうを
今大変かもしれない
これを見て下さるあなた方にも
ありがとう
by 蓮。うさぎ
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