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震災の傷痕について
書いてみようと思います
震災の傷痕と言うと
物理的な被害?と
考える方も多いと思いますが
心についた傷痕が
まだ消えずにいる方も
本当に多いと思います
軽くてパニック障害
重い方だとうつ病
のちに違う記事として
書こうとは思ってますが
パニック
ボーダー
リスカ癖
自律神経失調症
心身症
抑うつ状態
不眠症
とで
ぼく自身が
経験者なんです
抑うつ状態は約十年かかったものを
克服してます
パニックは一度克服出来てます
不眠症、軽いパニックの他は大丈夫です
パニックに関しては
発作おこした方には大きな声で
大丈夫!?
と、言わないであげて欲しいんですね
静かに大丈夫?大丈夫?
と、声をかけて
処置できないようであれば
病院、できれば掛かり付けの病院に
連れて行ってあけて欲しいですね
うつ病に関しては
これは克服するまでに
本人も辛い
周りも辛い事で
明日治るか、治らないかは
医師、本人、身近な人が
どれだけ力になれるか?になると思いますので
気長にみてあげて欲しいです
ぼくなりに
うつ病の方に
書かせて頂きたいと思います
うつだと認められなくても
いつかは認めて下さい
自分は弱い人間だと
決して思わないで下さい
笑ってもいいんです
泣いてもいいんです
悔しいと叫んでもいいんです
強い自分も
弱い自分も
間違いなく自分であって
弱い時もあるのも
当たり前なんです
ちょっとあなたは
疲れただけなんですよ
薬を何故飲まなきゃない!
と、怒る気持ちもわかりますが
疲れたあなたには
お薬ではなくて
心のビタミン剤なんだと思いますよ
いつも真面目に
きちんとしてなきゃいけない!と
思ってばかりでは
あなたではなくても
誰でも疲れて当然なんですよ
ぼくも頂いた言葉
やまない雨はない。
だから今
ちょっと立ち止まって
休んでみてもいいかもしれませんよ
急がないで下さい
ゆっくりでいいんです
例えばお部屋が散らかっていて
片付けなきゃ!と慌てなくても
明日やればいいよ?と
ゆっくりしてみては?
2~3日ぐらいお部屋が
散らかっていても、大丈夫なんですよ
今は闇の中で辛くて
何も見えないかもしれない
でも、気がついたら晴れてきて
明るい日差しが見えるかもしれませんよ?
その時に、自分はなんだったんだろうと
大笑いしてみませんか?
拙い文章ですが
一人でも多く
少しでも気が楽になって貰えれば
幸いです
by 蓮。うさぎPR -
さんはん神経が随分ニュースにはなって
正式なさんはんと言う漢字が
出たみたいですが
未だに何?とか
正式名がはっきりわからない限りは
書きたくないので
さんはん神経として書きたいと思います
震災でさんはん神経は
なる人ならない人
はっきりしたらしいですが
ぼくはなりました
立っても座っていても
常にグラグラしているので
地震なのか?
自分がおかしいのか?
錯覚するぐらいでしたね
酷い方だと、横になっていても
グラグラするとは
電気の復旧で、家にいて
グラグラがあまりに酷く
テレビをあまり見る習慣もないのですが
常にテレビをつけて
グラグラしている時に
地震速報が入らないか
真剣に見ていても
速報など入らないので
体がおかしいのかと、不安になり
彼氏がいない間に
集まった女性二人に一緒にいて貰い
今揺れたよね?
と、何度聞いても
揺れてないからと言われて
余計に不安が募るので、何度も
やっぱり揺れてるよね?
と、聞いて、わからない二人には
揺れてないでしょ?
あそこにかかってるハンガー見てみなさいよ?
揺れもしないでしょ?
と、部屋に吊るしてあったハンガーを
指さして、半ば怒られ気味になって
やっぱり脳かなにかおかしいんだ?と
本当に不安になり
何日も続いてはいて
内科にはよく通っていたので
もう病院に行った方が早い!と決心して
医師に
兎に角
揺れている感じがしていて
酷いんです
と、訴えたら
一言で
それ、さんはん神経なんです
震災以降に同じ症状を言われてますが
さんはん神経なだけで
特に何かの治療は必要はなく
自然と治まるのを待つしかなくになります
大丈夫です、心配しないで下さい
と、簡易に説明を受け
本当に人間って不思議なもので
さんはん神経ってものなんだ?と
わかった途端に
落ち着きました
多分精神的なものも
余計重なったかもしれませんね
もう、大丈夫だとは思いますが
大きな地震のあとに
何か揺れてるのか
自分がふらつきような
感じがすると思う方は
病院に行って診て貰って下さい
大病でなければ何よりですし
逆に違う病気を発見出来れば
治療をした方がいいと思いますので
補足として
過去かかった病気で
似たような症状なのは
自律神経失調症
パニック障害
でしたね
参考になれば幸いです
by 蓮。うさぎ -
ガス復旧について
書いてみたいと思います
ガスはうちで一ヶ月と
一週間かかりましたね
ホットプレートも古かったし
ワンルームで
キッチンすら小さかったので
ホットプレート大活躍してくれましたね
ガス復旧の時は近所に友達がいたので
そろそろうちブロック
次そっちだから
開栓して貰うまで
不在でいると
またしばらくかかるみたいだから
とにかく自宅にいようと
二人で連絡取り合っていたので
うちガス開栓になったから
お風呂入りにきなよ!と連絡きたので
着替え、洗面用品片手に
お風呂借りにいきました
一ヶ月と一週間だから
まるでお風呂に入らない期間は
ない訳ではなく
まさか全身痛い水シャワー毎日の訳にも
いかなかったので
ホテル街で灯油ボイラーで
お風呂が使えるホテルに
値段ははね上がったりしましたが
彼とお風呂入りに行ったりしましたね
噂、噂であそこお風呂大丈夫らしいよ?が
広まったので
親子連れ、女の子同士など
様々な人達がホテルとは言っても
ラブホテルだったので
妙な光景には感じました
他の場所で銭湯で
お風呂大丈夫な場所が
やはり噂、噂で
しばらく並んで入ったりもしたそうです
お湯ってこんなに温かいものだった?と
誰がしも感じたと思いますね
やっとお風呂に入れるって時には
この間、私が通っている美容室で
鍋でお湯を沸かして
何人もシャンプーだけは!と
スタッフさん総出で
働いてくれたそうです
そんな事になってるとも知らず
近所の美容室で
ボランティア程度の料金だけ頂ければとの話に
まんまと引っ掛かり
当時
髪の毛が短かった為に
エクステをつけていたのですが
見るも無残な姿にされて
美容室オーナーさんと言う方に
ガシガシエクステをとかされて
余計ぼろぼろになってるのにも関わらず
ほら?見れるようになったじゃない?
と、涼しい顔をして言われたので
頭にきて、ボランティアですからね
僅かですが!と500円を置いてきて
怒って帰ってきました
未だにそこの美容室は通るのですが
思い出しては
言葉悪く言わせて頂きますが
二度と来ないよ?この糞ばばあ?と
思って、通り過ぎています
by 蓮。うさぎ -
停電になってからの
次のお話を書いてみようと思います
元々が食料はレトルトなどまとめ買い
お米は炊飯器でまとめて炊いてしまって
分割して食べるとしてたので
電気がない状態
その後はしばらく持ちました
本当に運良かったと思ったのですが
大震災の前日に
まとめ買いをしていたので
水は集合マンションの為に
どこまで持つか?が
まるで検討つかない状態で
乾電池式の携帯充電器で
携帯充電をしても
ほとんどもう無理
室内に予備灯の懐中電灯があったのも
僅かな時間でダメになり
なんの情報もわからないまま
一晩過ごして
電気もいつ復活するかも
検討つかないな?と
愕然としてる時に
部屋の電気の
スイッチを押したら光
次の日には間違いないのですが
時間ははっきり思い出せないのは
やっと電気だよ!と
叫んでいたぐらいだったからだと思います
あとから教えて頂いたのは
県庁、区役所、病院が集まる中心部は
電気の復旧を急ぐからと
間違いない情報で
あればなのですが
身近な人にメールしたり
電話したり急いだと思います
そっち大丈夫だった?と
人間不思議なもので
電気だけでも大丈夫だと思うと
ガスも大丈夫だと勘違いして
火をつけようとしてみたりして
日常の生活をしようとするもんですね
ぼくが一人でちょっと
弄ってみたりしただけかも知れませんが
それから
ホットプレートだけでもあれば
なんとかなるでしょう?
と当時彼が実家から持ってきて
しばらくはそれで奮闘していたと思います
部屋が狭かった為にファンヒーター
灯油ストーブは置けずに
電気ストーブを買っていたので
寒さは免れ
食料も買いだめと
持ってきて貰った分で
一週間は持ったと思います
まるで食べるものもままならない方々も
いらっしゃった中
なんとも言葉にはなりませんが
友人達も彼氏がいるとで
昼は女だけになるで
集まっていたり
メールしていたりで
お互いに確認しあいしてましたね
うち一人の友人が
私彼氏とあちこち
様子見にいかなきゃないからと
車で出かけた矢先でお弁当を買ってきて
良かったら食べて?と
有難い頂き物も貰いました
マンション、エントランスで
炊き出しも始めたりしていたのですが
昼のみで
近所の様子見ながら出かけて
お弁当、おにぎりなどを
売っていたのですが
本当にダイレクトに書きますが
このおにぎり
普段の倍ぐらいの値段じゃない?
までありましたから
こういう輩いるんだよ?と
あとからまた聞きましたが
本当にいましたね
近所がほとんどコンビニばかりだったので
食料もそろそろかな?って頃に
あちこち歩いてみては
これも本当に
運が良かったとしか言えない
コンビニの前を通った途端に
コンビニが開いたので
滑り混んでは買い物をして
最後の方は
お酒、おつまみしかなかったので
呑んでは寝ての繰り返しで
過ごしていました
食べれなかったって方々には
恐縮なお話になります
水道復旧も定かではないのですが
早い方だったと思います
トイレの水が流せないな?って頃に
何かごぼごぼ音が聞こえてきたので
水出たよ!とまた叫んでしまって
水出たんです!と
メールしてしまったぐらいなので
女性特有なものになっていたので
お風呂はしばらく我慢するしか
ありませんでしたが
いや?もう少しぐらい大丈夫でしょう?と
水シャワーで全身洗いました
よくやったよね?と
ずいぶん言われましたが
実はDVの時に
水で体洗うしかないと体験もしていて
ガス復旧を考えれば
多分大丈夫でしょう?とだけの判断でした
これだけは周りにどうだった?と
聞かれたので書きますが
水を被っているとのよりは
全身に痛み走る感じがするので
私はお勧めしませんね
ずいぶんマシな生活だったとは思います
食べれなかった
お風呂どころではなかった
眠れなかったとの方々がいましたので
不快感を感じる方も
いらっしゃると思いますので
大変申し訳ありません
by 蓮。うさぎ -
先に、阪神淡路大震災について
また自分なりのお話を
書いてみようと思います
この当時の
犠牲者になった方々に
ご冥福をお祈りします
実は、うちの弟君
阪神淡路大震災を
大阪で経験してます
我が家
天真爛漫なのか?
自由人なのか?一家なので
弟君も家を飛び出した
経験がありまして
自分だけが
大阪にいたと知っていたのは
仲良かった兄弟だった証拠
笑い話を交えてしまいましたが
本題に戻します
朝ぼんやり起きて
居間に行って
テレビを見たら
壮絶な光景
阪神淡路大震災
死傷者○○名とニュースになっていて
まだあちこち旅行に行く
機会もなかったので
大阪=…になってしまい
うちの弟君まだ若いんだよ?と
真っ青になり
あの当時黒電話の時代ですから
安否確認の話ではなく
電話がパンクしてしまっていたので
家族に弟君
大阪だよ?とも言えずに
一週間は
急いで家に戻ってきて
自宅の電話の前を
うろうろしていて
やっと弟君から連絡がきて
父と話して
姉さん?大阪でも広いし
俺外れの方だから
外のブロック壁が
崩れたけど
俺は大丈夫なんだよ?と
短時間ながら
説明されて
良かった
生きてたよ?と
安心しました
あれから年数が
経っていますので
自分も自分で他県での
付き合いが出来ていましたので
当時経験した方々には
色々なお話を教えて頂きまして
まず、あの当時は
震災による犠牲者もでしたが
違う犠牲者
被害者、加害者も多数になり
何もかもが
追い付かなくなっていた事
これを元に
極力一人歩きは避けましたね
どこまで具体的に
書いていいものか
わかりかねるので
省かせて頂きますが
あとは
当時本当に大変だったと言う方から
メールを頂いて
寝ている場所に
倒れてきては困るものは
一切置かない
キッチンなどガラスで
破片が散乱しては困る物を
高い位置には
一切置かない
窓ガラス付近にも
倒れては困る物は
一切置かない
東日本大震災から
引っ越ししましたので
部屋の配置がえを
全てやりました
いくら宮城県が
地震が多かったにしても
余震が多くて流石に
怖くはなってきたので
一人パタパタと
今そっち大変でしょう?
必要であれば?との
ご連絡等は
被災者にすらならないので
避難所に集まっている方々に
送って欲しいんだと
お願いしました
水も送りますよ?と
ご連絡して頂いた方もいましたので
あとは、あの当時
真っ先に
東北に駆けつけて下さった方々が
神戸だったとは聞いて
神戸の方にもお会いする
機会はありましたが
ボランティアでも
駆けつけて下さった方々には
東北の為に
本当にありがとうございますと
ご挨拶させて頂きましたね
これは自分に限らず
ありがとうございますと
言ったとの方々も
多数にはなりましたので
こういうちょっと?と
言う事もありましたので
踏まえた上で
記憶の範囲を
綴っていければと
考えてはいますので
長い目線で
見て頂ければと思います
間違いなく
お話が違う方向にいって
ちょっと待って?は
相変わらずの蓮。ですので
わかる方は
無視してあげて下さい
by 蓮。うさぎ -
全ての人が
分岐点になった
東日本大震災について
自分なりの文章を
書かせて頂きたいと思います
先に、数多くの
犠牲者になった方々には
ご冥福をお祈りします
自分が耳に
目にしたものを
分割させて
書く形になると
思いますので
途中で話が
変わるかとは思いますが
お許し下さい
同時、夜に仕事がありましたので
寝ていました
不可解なブザーの音で
目が覚めて
何か揺れてるよね?と
横になったまま
ぼんやりしていて
不躾な話になりますが
耐震性が強すぎで
わからなかったんです
横になったままで
体感する揺れに
何か違うなと
飛び起きて
窓、ドアを開けて
暫く待っていました
また恐縮な
お話になりますが
部屋もさほど散乱する事もなく
ガス、水は大丈夫?と確認だけして
仕事だしね?と
また寝てしまったんです
ガス、水は盲点でしたね
マンションでしたので
配管、貯水槽に
残っていたものが
出ただけですから
ふっと気がついたら
真っ暗な中で
当時友人、二人が
蓮さん?何やってんの?起きて?
もう普通じゃないんだって!と
言われて起きて
友人二人に
外の電気が
全て消えている事を伝えられて
いつも窓から
見える光が消えていたので
本当に普通じゃないよ?と慌てて
二人はアロマキャンドルだけど
ないよりマシなはず
ちょっと周り様子
見てから帰るよ?と言うので
いいから女性二人なんだから
さっさと帰りなさい!と騒いで
宮城県自体が
地震多い地域なので
普通じゃないのは
わかるにしても
阪神淡路大震災の時に
違う被害者も出たとは
聞いてはいたので
兎に角
早く帰るようにと促し
うちは、同棲していた彼がいたので
帰ってくるのを待って
電池がどのぐらい持つだろう?と
ワンセグでチラチラ見ながら
死傷者○○人と
二人で見ていて
もう恐怖を通り越して
真っ青になってきて
当時安否確認のメール
ありがとうございます
電池どのぐらい持つ?と
考えながらだったので
大丈夫だからとしか
返し切れなかったと思います
本当にすみません
もう、真っ暗
部屋にいても寒かったので
衣類を着て
布団類を被って
寒いのか?恐怖なのか?で
震えていました
まだ辛い方も
沢山いたと思います
当然な事ながら
当時まだ精神薬を
飲んでいたので
もう寝よう
外に出ても
どうにもならないからと
皆さまが味わった
分岐点の始まり
拙い文章にはなると思います
思いだしながら
綴っていきたいと思います
by 蓮。うさぎ -

DVを受けた側なので
自分なりの意見を
書いてみます
意外とDVは
多いらしいですね
悲しい事に
前の記事にした
同棲して逃げた
彼氏のお母さんも
DV被害者で
うちで預かる形を
取らせて貰った
機会があったので
自分は被害が
少なくすんでいる
部分はあります
やはりこのお母さん
金銭的に余裕を
与えては貰えなく
ちょっとした
喧嘩から暴力を受け
堪えられなくなっては逃げ
逃げたところに
旦那さんが
泣いて謝ってきては
また同じ事の繰り返しで
何年もだったらしいです
惨い事に
お母さんが
そういう目にあっていても
娘さんが
家を出て行ったのに
お母さん
ゴミ出す日はいつ?と
自分で調べればわかるでしょう?と
思うような
話を持ちかけてきて
預かっていたので
お話を聞いていて
流石にくるものがあったので
言っては申し訳ないですが
旦那さんもですが
娘さんもどうかと思いますよ
こんな非常時に
ゴミ出す日はいつ?なんて話題を
ふってきて
ただ家に帰ってきて
欲しいだけの
言い訳にしか過ぎないと
思いますので
シェルターに回る事を
考えた方がいいと思いますが?とは
言いましたが
旦那さんが泣いて
迎えにきたので
帰ってしまい
自分と年数が違う為に
怪我の痕が酷く
体重は結婚した時と
変わらないのに
若い時に買った
指輪が入らないの
指の骨が
曲がっているからと言われて
言葉を失いましたね
自分が
まだ離婚終わらないとの期間にも
若い女性で
やはりDVらしいから
話ちょっとしてもらえないか?と
友人にお願いされて
自分の当時の
写真などを残していたので
持っていって
お話させて頂きましたが
彼女の方は
まだ乳飲み子を
抱えていて
体に痣
自分の時で
鼻に傷痕が残っていて
当時写真を悔しい一心だけで
撮っていたので
写真を見せながら
同じ被害者です
一緒だから
安心して欲しいんだと
淡々とお話しまして
どの程度の暴力を
受けているか等を聞いていて
これは本当に
世代の違いだな?と
感じたのが
旦那さんが、ブログを作って
これは俺の者だからと
言わんばかりに
奥さんの写真を
貼り付けて主張してあり
この彼女に関しては
被害届出した後だったので
保護した友人に
だいたいの説明をして
警察署に被害届を
出してはいるけども
怖がって全て
話し切れてはいない事実が
あるとの事だったので
また被害届を出す為に
友人が引率で
一日がかりで
警察署で話をし直して
シェルター優先に
なりますとの事で
シェルターにはいりました
自分の時に
調べたのですが
モラルハラスメントと言う
身内が貴女が悪いから
そういう目に合うんだから!と言われて
自分も同じだったんだ?と
学びましたが
モラルハラスメントも
本当に怖いもので
モラルハラスメントを
受けてる為に
被害届すら出せずに
泣いている女性は
沢山いると思いますよ
DVは自分を含め三人
たまたま身近にいたので
話が共通したのが
人様の前では
うちの嫁は出来た人だからと
誉めちぎり
家庭内では
精神的、金銭的、肉体的に被害を加え
近所が薄々わかっていても
怖いから知らないフリをするとで
いつまでも逃げられない
悪循環なようなんですよ
もし身近に、もしお隣に、もし友人に
DVじゃないか?と
感じる人がいましたら
ほんの僅かな
勇気でいいんです
何か嫌な事でもありませんか?と
優しく声をかけて頂いて
少しずつ気持ちを
ほぐしてあげて
それは貴女が悪い訳ではないんですよ?と
教えてあげて頂けませんか?
今ネットでも
情報は入ります
自分でDVだと
わかっていない女性も
いらっしゃると思いますので
もしや?と思うなら
少し自分も該当してはいないか?と
考えてみて欲しいなと思います
ほんの僅かな勇気で
助かるかも知れないですよ
うちはDVだから!と
勝手に思う方もいるとは思いますが
もしかしたら、この方?
もしかしたら私が?から
一本前に進むだけで
何かが変わるかも知れませんよ?
自分も感じた
見えない優しさ
見えない勇気は繋がれていて
繋がれてたもので
誰か一人でも多く
幸せに導かれるようにと
祈ります
なんてご立派な話を
出来る人間ではない人間の戯言
by 蓮。うさぎ -
父が亡くなってからのお話でも
何か糸が切れたように
なってましたね
別になんでもいいし
今良ければいいし、と
本当に
最低だったと思います
恋愛って恋愛が
あったかもしれませんが
あまり記憶にはなく
不眠症、うつには
なっていので
通院するしかなく
入院までには
至らなかったので
自分の足元も見てない
生活してたんでしょうね
付き合ってと言われて
なんとなく付き合った人
異様に優しかったので
歳もずいぶん上だし
こんなもんなんだろうな?と
最近に全て
終わった事なので
この期間は
全て無なんですね
記憶も昔より
近いはずなのに曖昧で
付き合って、同棲して
約束の同棲期間
一年なんだからさと
言い寄られと
こんなもんか?と再婚
なんとなくだからの
地獄の始まり、始まり
当時、仕事していましたが
財布を見ると
中身がなくなってる事もあり
変な言い訳で
ローン組むように言われて
ローンも組んで
ぼくは
歳のわりに友人が多くて
メール、電話等をしてると
怒鳴る事もあり
夜は異常だと
思うような性行為を
強制的にさせられ
病院では
うつもだいぶ
軽くなってきてますよ?とも
言われていましたが
寧ろ悪化してきていて
当時犬を
飼っていたので
散歩に連れて行って
川を眺めては
わからないうちに
ポロポロ泣いていて
DVだと
誰にも言えなくて
相手方母親に
訴えても
聞くよりは
うちの息子は
何も悪くないと否定されて
川を見るのだけが
僅かな自分の時間だと思う中
異様なぐらい
痩せこけた体で
ぼんやりと
この川に入ってしまえば
産まれた土地に帰れると
涙すら
出なくなっていて
旦那がいない間に
これ飲めばいいか?
なんてまたぼんやり考えながら
大量の精神薬を流し込み
あとは川に入ってしまえば
楽になるとだけ
気がついたら精神科で
大丈夫ですか?
今点滴してますからねと
医師、看護師に言われていて
大量の薬を飲みながら
生きていく事に
未練があったらしく
母を初め
あちこちに
メールなどをしていた
履歴があって
うち、一人が
様子が
おかしい事に気がついて
今何やってる訳!?と
電話がきて
これがぼく
蓮。を支えてきたうちの
一人だったんです
苦しいと言葉に
すらならなかったのを
サイトを作って
最後の方は
トイレに入ってでも
自分を必死に
伝えようとしていて
この蓮。と言う方の
一人は
実の弟ではなく
やんちゃながら
ぼくを慕っていてくれた子
まだまだ長い事
ネットってものを
使っていたはずなんですが
この区間の仲間が
ぼくには
一番深い仲間
あちこちから
蓮さん
私これするから
蓮大丈夫か?と
電話貰ったりとか
重い話なので
笑い話も含めたいと思いますが
旦那が横にいる時に
電話を貰った為に
しずちゃんみたいな声と
言った方もいますが
このダミ声で
ゲタゲタ笑い
あのさ?と
一人前になったつもりで
説教する人間が
しずちゃんな訳がない
もう、そんな地獄から
引きずりだしてくれたのは
その仲間
ネット使いだと
どうしても
オタクとか、二次元とか
勘違いされがちですが
各それぞれの
人生を歩いて行こうとする
素敵な、たまに天然な仲間達
ちょうど、旦那が逮捕と
色々ありましたので
この仲間達に
引きずられて
地獄から
這い出てきました
他県まで
ふっとんで行ったので
弟にも会えた
今やっと文明開化の音がするの
スマホが出来たので
スマホに
みんなついていけないだけ
歳は取ったんだよね?と
笑い種になりそうになりながら
LINEを使って
各自勉強中だとか
昨年に離婚は成立
うつは完治してますと告知され
晴れて二度目の人生
相変わらずバカな蓮。は
仲間に励まされ
一人前に
またなったつもりで
説教してみたりと
まるごと当時のサイトは消して
また作り直してる間に
また文明開化の音がする
blog、blogと
ここを再開する事になりました
destiny はとある
アーティストの
タイトルから取ったもので
意味としては運命と
思い付く方が多数だと思います
ぼくは運命よりは
必然的なの意味合いで取っています
必然的に人と出会い
その人と良くも悪くも
ぶつかり合う事に
意味があるんではないかと考えていくと
全ては必然的におきる出来事と
捉えられるのではないか?と
考えてはいますので
まだ続くよ、バカ蓮。
まだ騒いでるよ、蓮。
そんな仲間達の
居場所みたいな場所になりますが
何卒宜しくお願いします
そして、救ってくれた人達には
ありがとう
ネットって言うと
どうも悪く捉える方々も
いらっしゃると思いますよ
いや?ネットは良くも悪くも
使い方一つで
変わるものなんですよ
夜に眠れなくて
暗闇でぼんやりしているよりは
片手にあるスマホで
ちょっと違う世界を覗いてみると
口には出せない
自分の為になるような
文章が転がっていて
いや?自分の考えは
違うかも知れないな?と
学べるかもしれないですよ
ただ使い過ぎには
注意してくださいね
夢中になりすぎて
朝眠い、寝不足で
集中出来ない!なんて
なり兼ねないですから
by 蓮。うさぎ -
父が亡くなった時の真実を
ずいぶん時間が経って
弟君から
告白されたので
そのお話を
書いてみようと思います
お父さんってのは
本当に無口で
何かこそこそしてるな?と思えば
鼻歌歌いながら
盆栽を弄ってたとか
ぼく達の若い時には
朝シャンと言う
朝にヘアスタイルを
セットするのを
散々否定しておきながら
実は自分が
お洒落さんだったので
毎朝鏡の前でせっせと
ヘアスタイルを整えて
ハンチングを被って
作業着で出勤するで
ぼくから
言わせれば
それこそ本当に
意味ないでしょうが?と
思う事は
しっかりやるとで
家庭行事は
沢山ありましたが
家庭行事の中で
家族みんなが
嫌がってたのは
街のお祭りに
家族巻き込んでまで
騒いでいた事でしたね
弟君もぼくも殆ど
強制で参加させられて
最終は
勝手にして下さい!と
なったので
お祭近くになると
また無言で
お祭りの準備に
いそいそと走り回っていて
またですか?と
お母さんまでも無視
一言で言えば
お祭り大好き男
長い年数踊ってはいたので
かなり評判は
良かったらしいです
そんなお祭りでも
ぼく達にはわからない
世代交代があって
踊りはやめて
踊りの違う箇所に
参加はしていて
今年は子供達に
伝統芸能として伝えるべく
小学校で踊るとの話がきて
踊り仲間から
うちの父に一番メインを
踊って欲しいと
抜擢されたらしいのですね
ぼくはのちに
聞かせられた話になるので
明確ではないのですが
晴れの大舞台で
お父さん
余程張り切ったと思います
前日から頭痛を
訴えていたのが
それとも知らずに
いざ、その踊りのメインの時に
ここは終わりではないよ?との箇所で
止まってしまい
わからない子供達は
踊りが終わったものだと思い
拍手喝采だったらしいのですが
一緒に踊りに
参加していた人達は
異変に気がついて
終わらせたように演奏を止めて
救急車で搬送させて
下さったそうです
病院に搬送された時には
意識はあって
俺、くも膜下出血だろ?と
わかっていたとの事で
お母さんでは
ダメですからとで
弟君がどのような状態であるかを
説明を受けて
今すぐではなく
手術で回復させられるので
明日に手術になると
書類等を
準備していたらしいです
ぼくには
当時は
父さん倒れたけど
意識あるし
助かるとは言われたから
なんにしても一度こいよ?とは
弟君から
連絡を受けていて
その晩に違う箇所が
切れてしまい
もう緊急手術しかありません
ただ、手術しても
植物人間になります
どうしますか?と
弟君が宣告されて
泣き騒ぐ母では
話にはならないとの判断と
その宣告を一人で考え
いや、手術はやめて
父は死なせて欲しいと決めたと
ぼくには父さん
もう一つきたらしくて
ダメなんだ…と言われて
緊急で地元に
戻ったのですが
これ、本当四年前まで
うちの弟君が
一人が背負って
やっと告白しました
俺一人の判断で
父さん殺したようなもんなんだ
ごめん…
と、言葉を濁して
弟君本人にも
言いましたが
うちのお父さんが
もし植物人間から回復できて
言葉を喋れても
体は動かせない
状態になったら
間違いなく
俺はこのままでは
生きていたくない
殺して欲しいと訴えたと
ぼくでも思った事だから
もういいんだよ?と
誰一人に言えなかった
弟が背負ったもの
余程苦しかったと思います
先に書いた
ぼくの記憶の
お父さんを読んで頂けると
わかるかと思いますが
無言でも
本当にじっとしてられなくて
常にあれこれ何かしてるのが
大好きだった人が
植物人間になるのは
堪えられる筈も
なかったとは
そんな事背負わなくて
良かったんだよ
弟君
もう、時効に
なるような話なんだから
背負ったものから
解放されて
貴方らしく生きて
by 蓮。うさぎ -
過去で一番
感動した
結婚式のお話を
書いてみようと思います
正直、結婚式自体が苦手で
ぼく断る方なんです
前の記事にある
今で言う女子会の
メンバーだった
もう一人の女の子の
結婚式に呼ばれまして
中学生ぐらいの時に
誰が先に結婚するだろう?
結婚式の時は呼ぼうね、と
話していたのを
覚えていたらしいです
彼女は
時期的に
まだ早いでしょ?の
大雪の中で
自分の席は
どこ?と
探して
テーブルの上にあった
自分の名前のプレートの
裏を見たら
手書きで
メッセージ
これは本当に
よく考えたな?と思う
スピーチを
ゲーム形式のようにして
その場で
スピーチする人を決めて
もう、なんなんだ?
この結婚式は?と
圧倒されたままの
今なので
うまく文章に
すらならないのですが
そして、これは本当に
凄いと感じたのが
手作りの
ライスシャワー
引き出物にと
渡されて、見たら
ぼくが当時好んで
飲んでいたワイン
このワインは
なかなか手をつけられずに
暫くインテリアとして
部屋に飾ってありました
彼女からも
自分達の
手作りで
やりたかったと
諸事情を聞いて
結婚式は
こんないいものだとは
思わなかった!と
感動しました
ごめんね
ぼくだけの
記憶で書いてるので
ちょっと違うよ?って
箇所があるかとは思いますが
本当に良い結婚式で
ぼく未だに
忘れられません
中学生の時の
約束じゃない?と言った
彼女は
いつまでも
幸せでいれますように
by 蓮。うさぎ