- 
          
          
先に、阪神淡路大震災について
また自分なりのお話を
書いてみようと思います
この当時の
犠牲者になった方々に
ご冥福をお祈りします
実は、うちの弟君
阪神淡路大震災を
大阪で経験してます
我が家
天真爛漫なのか?
自由人なのか?一家なので
弟君も家を飛び出した
経験がありまして
自分だけが
大阪にいたと知っていたのは
仲良かった兄弟だった証拠
笑い話を交えてしまいましたが
本題に戻します
朝ぼんやり起きて
居間に行って
テレビを見たら
壮絶な光景
阪神淡路大震災
死傷者○○名とニュースになっていて
まだあちこち旅行に行く
機会もなかったので
大阪=…になってしまい
うちの弟君まだ若いんだよ?と
真っ青になり
あの当時黒電話の時代ですから
安否確認の話ではなく
電話がパンクしてしまっていたので
家族に弟君
大阪だよ?とも言えずに
一週間は
急いで家に戻ってきて
自宅の電話の前を
うろうろしていて
やっと弟君から連絡がきて
父と話して
姉さん?大阪でも広いし
俺外れの方だから
外のブロック壁が
崩れたけど
俺は大丈夫なんだよ?と
短時間ながら
説明されて
良かった
生きてたよ?と
安心しました
あれから年数が
経っていますので
自分も自分で他県での
付き合いが出来ていましたので
当時経験した方々には
色々なお話を教えて頂きまして
まず、あの当時は
震災による犠牲者もでしたが
違う犠牲者
被害者、加害者も多数になり
何もかもが
追い付かなくなっていた事
これを元に
極力一人歩きは避けましたね
どこまで具体的に
書いていいものか
わかりかねるので
省かせて頂きますが
あとは
当時本当に大変だったと言う方から
メールを頂いて
寝ている場所に
倒れてきては困るものは
一切置かない
キッチンなどガラスで
破片が散乱しては困る物を
高い位置には
一切置かない
窓ガラス付近にも
倒れては困る物は
一切置かない
東日本大震災から
引っ越ししましたので
部屋の配置がえを
全てやりました
いくら宮城県が
地震が多かったにしても
余震が多くて流石に
怖くはなってきたので
一人パタパタと
今そっち大変でしょう?
必要であれば?との
ご連絡等は
被災者にすらならないので
避難所に集まっている方々に
送って欲しいんだと
お願いしました
水も送りますよ?と
ご連絡して頂いた方もいましたので
あとは、あの当時
真っ先に
東北に駆けつけて下さった方々が
神戸だったとは聞いて
神戸の方にもお会いする
機会はありましたが
ボランティアでも
駆けつけて下さった方々には
東北の為に
本当にありがとうございますと
ご挨拶させて頂きましたね
これは自分に限らず
ありがとうございますと
言ったとの方々も
多数にはなりましたので
こういうちょっと?と
言う事もありましたので
踏まえた上で
記憶の範囲を
綴っていければと
考えてはいますので
長い目線で
見て頂ければと思います
間違いなく
お話が違う方向にいって
ちょっと待って?は
相変わらずの蓮。ですので
わかる方は
無視してあげて下さい
by 蓮。うさぎPR - 
          
          
全ての人が
分岐点になった
東日本大震災について
自分なりの文章を
書かせて頂きたいと思います
先に、数多くの
犠牲者になった方々には
ご冥福をお祈りします
自分が耳に
目にしたものを
分割させて
書く形になると
思いますので
途中で話が
変わるかとは思いますが
お許し下さい
同時、夜に仕事がありましたので
寝ていました
不可解なブザーの音で
目が覚めて
何か揺れてるよね?と
横になったまま
ぼんやりしていて
不躾な話になりますが
耐震性が強すぎで
わからなかったんです
横になったままで
体感する揺れに
何か違うなと
飛び起きて
窓、ドアを開けて
暫く待っていました
また恐縮な
お話になりますが
部屋もさほど散乱する事もなく
ガス、水は大丈夫?と確認だけして
仕事だしね?と
また寝てしまったんです
ガス、水は盲点でしたね
マンションでしたので
配管、貯水槽に
残っていたものが
出ただけですから
ふっと気がついたら
真っ暗な中で
当時友人、二人が
蓮さん?何やってんの?起きて?
もう普通じゃないんだって!と
言われて起きて
友人二人に
外の電気が
全て消えている事を伝えられて
いつも窓から
見える光が消えていたので
本当に普通じゃないよ?と慌てて
二人はアロマキャンドルだけど
ないよりマシなはず
ちょっと周り様子
見てから帰るよ?と言うので
いいから女性二人なんだから
さっさと帰りなさい!と騒いで
宮城県自体が
地震多い地域なので
普通じゃないのは
わかるにしても
阪神淡路大震災の時に
違う被害者も出たとは
聞いてはいたので
兎に角
早く帰るようにと促し
うちは、同棲していた彼がいたので
帰ってくるのを待って
電池がどのぐらい持つだろう?と
ワンセグでチラチラ見ながら
死傷者○○人と
二人で見ていて
もう恐怖を通り越して
真っ青になってきて
当時安否確認のメール
ありがとうございます
電池どのぐらい持つ?と
考えながらだったので
大丈夫だからとしか
返し切れなかったと思います
本当にすみません
もう、真っ暗
部屋にいても寒かったので
衣類を着て
布団類を被って
寒いのか?恐怖なのか?で
震えていました
まだ辛い方も
沢山いたと思います
当然な事ながら
当時まだ精神薬を
飲んでいたので
もう寝よう
外に出ても
どうにもならないからと
皆さまが味わった
分岐点の始まり
拙い文章にはなると思います
思いだしながら
綴っていきたいと思います
by 蓮。うさぎ - 
          
          

DVを受けた側なので
自分なりの意見を
書いてみます
意外とDVは
多いらしいですね
悲しい事に
前の記事にした
同棲して逃げた
彼氏のお母さんも
DV被害者で
うちで預かる形を
取らせて貰った
機会があったので
自分は被害が
少なくすんでいる
部分はあります
やはりこのお母さん
金銭的に余裕を
与えては貰えなく
ちょっとした
喧嘩から暴力を受け
堪えられなくなっては逃げ
逃げたところに
旦那さんが
泣いて謝ってきては
また同じ事の繰り返しで
何年もだったらしいです
惨い事に
お母さんが
そういう目にあっていても
娘さんが
家を出て行ったのに
お母さん
ゴミ出す日はいつ?と
自分で調べればわかるでしょう?と
思うような
話を持ちかけてきて
預かっていたので
お話を聞いていて
流石にくるものがあったので
言っては申し訳ないですが
旦那さんもですが
娘さんもどうかと思いますよ
こんな非常時に
ゴミ出す日はいつ?なんて話題を
ふってきて
ただ家に帰ってきて
欲しいだけの
言い訳にしか過ぎないと
思いますので
シェルターに回る事を
考えた方がいいと思いますが?とは
言いましたが
旦那さんが泣いて
迎えにきたので
帰ってしまい
自分と年数が違う為に
怪我の痕が酷く
体重は結婚した時と
変わらないのに
若い時に買った
指輪が入らないの
指の骨が
曲がっているからと言われて
言葉を失いましたね
自分が
まだ離婚終わらないとの期間にも
若い女性で
やはりDVらしいから
話ちょっとしてもらえないか?と
友人にお願いされて
自分の当時の
写真などを残していたので
持っていって
お話させて頂きましたが
彼女の方は
まだ乳飲み子を
抱えていて
体に痣
自分の時で
鼻に傷痕が残っていて
当時写真を悔しい一心だけで
撮っていたので
写真を見せながら
同じ被害者です
一緒だから
安心して欲しいんだと
淡々とお話しまして
どの程度の暴力を
受けているか等を聞いていて
これは本当に
世代の違いだな?と
感じたのが
旦那さんが、ブログを作って
これは俺の者だからと
言わんばかりに
奥さんの写真を
貼り付けて主張してあり
この彼女に関しては
被害届出した後だったので
保護した友人に
だいたいの説明をして
警察署に被害届を
出してはいるけども
怖がって全て
話し切れてはいない事実が
あるとの事だったので
また被害届を出す為に
友人が引率で
一日がかりで
警察署で話をし直して
シェルター優先に
なりますとの事で
シェルターにはいりました
自分の時に
調べたのですが
モラルハラスメントと言う
身内が貴女が悪いから
そういう目に合うんだから!と言われて
自分も同じだったんだ?と
学びましたが
モラルハラスメントも
本当に怖いもので
モラルハラスメントを
受けてる為に
被害届すら出せずに
泣いている女性は
沢山いると思いますよ
DVは自分を含め三人
たまたま身近にいたので
話が共通したのが
人様の前では
うちの嫁は出来た人だからと
誉めちぎり
家庭内では
精神的、金銭的、肉体的に被害を加え
近所が薄々わかっていても
怖いから知らないフリをするとで
いつまでも逃げられない
悪循環なようなんですよ
もし身近に、もしお隣に、もし友人に
DVじゃないか?と
感じる人がいましたら
ほんの僅かな
勇気でいいんです
何か嫌な事でもありませんか?と
優しく声をかけて頂いて
少しずつ気持ちを
ほぐしてあげて
それは貴女が悪い訳ではないんですよ?と
教えてあげて頂けませんか?
今ネットでも
情報は入ります
自分でDVだと
わかっていない女性も
いらっしゃると思いますので
もしや?と思うなら
少し自分も該当してはいないか?と
考えてみて欲しいなと思います
ほんの僅かな勇気で
助かるかも知れないですよ
うちはDVだから!と
勝手に思う方もいるとは思いますが
もしかしたら、この方?
もしかしたら私が?から
一本前に進むだけで
何かが変わるかも知れませんよ?
自分も感じた
見えない優しさ
見えない勇気は繋がれていて
繋がれてたもので
誰か一人でも多く
幸せに導かれるようにと
祈ります
なんてご立派な話を
出来る人間ではない人間の戯言
by 蓮。うさぎ - 
          
          
父が亡くなってからのお話でも
何か糸が切れたように
なってましたね
別になんでもいいし
今良ければいいし、と
本当に
最低だったと思います
恋愛って恋愛が
あったかもしれませんが
あまり記憶にはなく
不眠症、うつには
なっていので
通院するしかなく
入院までには
至らなかったので
自分の足元も見てない
生活してたんでしょうね
付き合ってと言われて
なんとなく付き合った人
異様に優しかったので
歳もずいぶん上だし
こんなもんなんだろうな?と
最近に全て
終わった事なので
この期間は
全て無なんですね
記憶も昔より
近いはずなのに曖昧で
付き合って、同棲して
約束の同棲期間
一年なんだからさと
言い寄られと
こんなもんか?と再婚
なんとなくだからの
地獄の始まり、始まり
当時、仕事していましたが
財布を見ると
中身がなくなってる事もあり
変な言い訳で
ローン組むように言われて
ローンも組んで
ぼくは
歳のわりに友人が多くて
メール、電話等をしてると
怒鳴る事もあり
夜は異常だと
思うような性行為を
強制的にさせられ
病院では
うつもだいぶ
軽くなってきてますよ?とも
言われていましたが
寧ろ悪化してきていて
当時犬を
飼っていたので
散歩に連れて行って
川を眺めては
わからないうちに
ポロポロ泣いていて
DVだと
誰にも言えなくて
相手方母親に
訴えても
聞くよりは
うちの息子は
何も悪くないと否定されて
川を見るのだけが
僅かな自分の時間だと思う中
異様なぐらい
痩せこけた体で
ぼんやりと
この川に入ってしまえば
産まれた土地に帰れると
涙すら
出なくなっていて
旦那がいない間に
これ飲めばいいか?
なんてまたぼんやり考えながら
大量の精神薬を流し込み
あとは川に入ってしまえば
楽になるとだけ
気がついたら精神科で
大丈夫ですか?
今点滴してますからねと
医師、看護師に言われていて
大量の薬を飲みながら
生きていく事に
未練があったらしく
母を初め
あちこちに
メールなどをしていた
履歴があって
うち、一人が
様子が
おかしい事に気がついて
今何やってる訳!?と
電話がきて
これがぼく
蓮。を支えてきたうちの
一人だったんです
苦しいと言葉に
すらならなかったのを
サイトを作って
最後の方は
トイレに入ってでも
自分を必死に
伝えようとしていて
この蓮。と言う方の
一人は
実の弟ではなく
やんちゃながら
ぼくを慕っていてくれた子
まだまだ長い事
ネットってものを
使っていたはずなんですが
この区間の仲間が
ぼくには
一番深い仲間
あちこちから
蓮さん
私これするから
蓮大丈夫か?と
電話貰ったりとか
重い話なので
笑い話も含めたいと思いますが
旦那が横にいる時に
電話を貰った為に
しずちゃんみたいな声と
言った方もいますが
このダミ声で
ゲタゲタ笑い
あのさ?と
一人前になったつもりで
説教する人間が
しずちゃんな訳がない
もう、そんな地獄から
引きずりだしてくれたのは
その仲間
ネット使いだと
どうしても
オタクとか、二次元とか
勘違いされがちですが
各それぞれの
人生を歩いて行こうとする
素敵な、たまに天然な仲間達
ちょうど、旦那が逮捕と
色々ありましたので
この仲間達に
引きずられて
地獄から
這い出てきました
他県まで
ふっとんで行ったので
弟にも会えた
今やっと文明開化の音がするの
スマホが出来たので
スマホに
みんなついていけないだけ
歳は取ったんだよね?と
笑い種になりそうになりながら
LINEを使って
各自勉強中だとか
昨年に離婚は成立
うつは完治してますと告知され
晴れて二度目の人生
相変わらずバカな蓮。は
仲間に励まされ
一人前に
またなったつもりで
説教してみたりと
まるごと当時のサイトは消して
また作り直してる間に
また文明開化の音がする
blog、blogと
ここを再開する事になりました
destiny はとある
アーティストの
タイトルから取ったもので
意味としては運命と
思い付く方が多数だと思います
ぼくは運命よりは
必然的なの意味合いで取っています
必然的に人と出会い
その人と良くも悪くも
ぶつかり合う事に
意味があるんではないかと考えていくと
全ては必然的におきる出来事と
捉えられるのではないか?と
考えてはいますので
まだ続くよ、バカ蓮。
まだ騒いでるよ、蓮。
そんな仲間達の
居場所みたいな場所になりますが
何卒宜しくお願いします
そして、救ってくれた人達には
ありがとう
ネットって言うと
どうも悪く捉える方々も
いらっしゃると思いますよ
いや?ネットは良くも悪くも
使い方一つで
変わるものなんですよ
夜に眠れなくて
暗闇でぼんやりしているよりは
片手にあるスマホで
ちょっと違う世界を覗いてみると
口には出せない
自分の為になるような
文章が転がっていて
いや?自分の考えは
違うかも知れないな?と
学べるかもしれないですよ
ただ使い過ぎには
注意してくださいね
夢中になりすぎて
朝眠い、寝不足で
集中出来ない!なんて
なり兼ねないですから
by 蓮。うさぎ - 
          
          
父が亡くなった時の真実を
ずいぶん時間が経って
弟君から
告白されたので
そのお話を
書いてみようと思います
お父さんってのは
本当に無口で
何かこそこそしてるな?と思えば
鼻歌歌いながら
盆栽を弄ってたとか
ぼく達の若い時には
朝シャンと言う
朝にヘアスタイルを
セットするのを
散々否定しておきながら
実は自分が
お洒落さんだったので
毎朝鏡の前でせっせと
ヘアスタイルを整えて
ハンチングを被って
作業着で出勤するで
ぼくから
言わせれば
それこそ本当に
意味ないでしょうが?と
思う事は
しっかりやるとで
家庭行事は
沢山ありましたが
家庭行事の中で
家族みんなが
嫌がってたのは
街のお祭りに
家族巻き込んでまで
騒いでいた事でしたね
弟君もぼくも殆ど
強制で参加させられて
最終は
勝手にして下さい!と
なったので
お祭近くになると
また無言で
お祭りの準備に
いそいそと走り回っていて
またですか?と
お母さんまでも無視
一言で言えば
お祭り大好き男
長い年数踊ってはいたので
かなり評判は
良かったらしいです
そんなお祭りでも
ぼく達にはわからない
世代交代があって
踊りはやめて
踊りの違う箇所に
参加はしていて
今年は子供達に
伝統芸能として伝えるべく
小学校で踊るとの話がきて
踊り仲間から
うちの父に一番メインを
踊って欲しいと
抜擢されたらしいのですね
ぼくはのちに
聞かせられた話になるので
明確ではないのですが
晴れの大舞台で
お父さん
余程張り切ったと思います
前日から頭痛を
訴えていたのが
それとも知らずに
いざ、その踊りのメインの時に
ここは終わりではないよ?との箇所で
止まってしまい
わからない子供達は
踊りが終わったものだと思い
拍手喝采だったらしいのですが
一緒に踊りに
参加していた人達は
異変に気がついて
終わらせたように演奏を止めて
救急車で搬送させて
下さったそうです
病院に搬送された時には
意識はあって
俺、くも膜下出血だろ?と
わかっていたとの事で
お母さんでは
ダメですからとで
弟君がどのような状態であるかを
説明を受けて
今すぐではなく
手術で回復させられるので
明日に手術になると
書類等を
準備していたらしいです
ぼくには
当時は
父さん倒れたけど
意識あるし
助かるとは言われたから
なんにしても一度こいよ?とは
弟君から
連絡を受けていて
その晩に違う箇所が
切れてしまい
もう緊急手術しかありません
ただ、手術しても
植物人間になります
どうしますか?と
弟君が宣告されて
泣き騒ぐ母では
話にはならないとの判断と
その宣告を一人で考え
いや、手術はやめて
父は死なせて欲しいと決めたと
ぼくには父さん
もう一つきたらしくて
ダメなんだ…と言われて
緊急で地元に
戻ったのですが
これ、本当四年前まで
うちの弟君が
一人が背負って
やっと告白しました
俺一人の判断で
父さん殺したようなもんなんだ
ごめん…
と、言葉を濁して
弟君本人にも
言いましたが
うちのお父さんが
もし植物人間から回復できて
言葉を喋れても
体は動かせない
状態になったら
間違いなく
俺はこのままでは
生きていたくない
殺して欲しいと訴えたと
ぼくでも思った事だから
もういいんだよ?と
誰一人に言えなかった
弟が背負ったもの
余程苦しかったと思います
先に書いた
ぼくの記憶の
お父さんを読んで頂けると
わかるかと思いますが
無言でも
本当にじっとしてられなくて
常にあれこれ何かしてるのが
大好きだった人が
植物人間になるのは
堪えられる筈も
なかったとは
そんな事背負わなくて
良かったんだよ
弟君
もう、時効に
なるような話なんだから
背負ったものから
解放されて
貴方らしく生きて
by 蓮。うさぎ - 
          
          
過去で一番
感動した
結婚式のお話を
書いてみようと思います
正直、結婚式自体が苦手で
ぼく断る方なんです
前の記事にある
今で言う女子会の
メンバーだった
もう一人の女の子の
結婚式に呼ばれまして
中学生ぐらいの時に
誰が先に結婚するだろう?
結婚式の時は呼ぼうね、と
話していたのを
覚えていたらしいです
彼女は
時期的に
まだ早いでしょ?の
大雪の中で
自分の席は
どこ?と
探して
テーブルの上にあった
自分の名前のプレートの
裏を見たら
手書きで
メッセージ
これは本当に
よく考えたな?と思う
スピーチを
ゲーム形式のようにして
その場で
スピーチする人を決めて
もう、なんなんだ?
この結婚式は?と
圧倒されたままの
今なので
うまく文章に
すらならないのですが
そして、これは本当に
凄いと感じたのが
手作りの
ライスシャワー
引き出物にと
渡されて、見たら
ぼくが当時好んで
飲んでいたワイン
このワインは
なかなか手をつけられずに
暫くインテリアとして
部屋に飾ってありました
彼女からも
自分達の
手作りで
やりたかったと
諸事情を聞いて
結婚式は
こんないいものだとは
思わなかった!と
感動しました
ごめんね
ぼくだけの
記憶で書いてるので
ちょっと違うよ?って
箇所があるかとは思いますが
本当に良い結婚式で
ぼく未だに
忘れられません
中学生の時の
約束じゃない?と言った
彼女は
いつまでも
幸せでいれますように
by 蓮。うさぎ - 
          
          

我が家の大黒柱
濃い父親のお話を
書いてみようと思います
今月に
命日を迎えます
くも膜下出血による
病死になってしまって
ぼくの中では
永遠の53歳になっています
ぼく
中学生ぐらいから
思春期を迎えて
どこにでもあるような
親子バトルが
始まりました
それまで
怖かっただけのお父さんが
兎に角煩くなって
しょうがありませんでした
お父さんにしてみれば
少しずつ女の子から
女に変わっていくのが
心配で当たり前だったんだと
今になって思います
そんな事
考える筈もない中学生
それまで家庭で
いるかいないか?
わからないぐらいだった糞餓鬼が
猛反発始まって
昔ながらの
頑固で無口な父親の
典型的なお父さんだったから
少しぼくが
何かしては
正座つきで
長い演説されて
ぼくも
なんでそんな話なのよ!って
反撃しては
怒られて
今では本当に
濃い父親と
笑ってしまうのが
昔のプラスチックの
洗面器で頭叩かれて
洗面器の底が抜けたのを
お父さんが真剣に見て
洗面器に
ヒビ入ってたのかー?
と、発言しやがるw
頭痛いながら
ぼくの心配より
洗面器な訳?と
気が遠くなってみたり
あまりにキレ過ぎて
お父さんに向かって
死んでやる!と
怒鳴った事もありましたが
言った途端に
すたすた鋏を持ってきて
それ家で一番切れる鋏
死ぬならそれでやれ
と、また言われて
死ぬ生きるに鋏か?と
また気が遠くなってみたり
ぼく産まれて
間もなくに
食中毒で
死にかけてしまった事が
あったらしいのですが
お母さんの失敗した
ゆるくなったカレーが
出るたびに
お前入院してた時は
オムツにこんなのがついてて
俺洗ったんだよな
と、言われては
カレー食べる気力ないよ?と
具合悪くなってみたり
ぼくが反発した中で
一番後悔したのが
あんたなんか
父親だと思った事ないから!
だったのですが
深夜にトイレに
起きてきたぼくに
気がついて
トイレのふりしながら
瞼が泣いた後で
腫れた顔で
俺が父親だって
忘れるなよ…
と、ぼくの
後ろを通り過ぎながら
ぽそりと呟かれ
今だから言える
反発し過ぎて
家出までして
本当に
ごめんなさい
自分が
いい歳になって
ぼくが余程
可愛くて
どう愛情表現したらいいのか
わからなくなってしまって
喜ぶはずだ?と
とんでもない家電
当時では
高価なはずのものを
買ってきたんだな?と
つくづくわかりました
あのね、お父さん?
貴方の濃い冗談なのか
説教なのかわからない
昔で言う
ドリフターズなみの
コントみたいな
毎日を思い出すのが
ぼくは
一番怖い
殆ど
喋らない人だったので
父の名文句
俺の白い歯が
見えるうちは
お前
幸せなんだからな?
と、にやりと笑う顔が
一番の恐怖
この父親にして
この濃い冗談吐くぼくが
貴方の間違いなく
生きていた証だったと思うので
貴方らしい子供の
言葉で言うと
さっさと黙って
寝てていいから
思い出させないでよ!です
濃い父親にして
この餓鬼なお話です
大好きな
お父さんに
by 蓮。うさぎ - 
          
          
何年も
降り続いた
寒い雨
ぼくに
きた
長い雨
そこを抜けたら
そんな事も
考えられなかった
長い日々
今は
やっと晴れつつあるよ
そこに君がいるから
そこに君達がいるから
ここまで来たし
ここまで来から
なら
また歩こうか
また雨の中だとて
いつかは晴れるから
2013年復刻版にて
少しは大人になった
ぼくからぼくに
by 蓮。うさぎ - 
          
          
兄弟の事を
書いてみようと思います
三歳違いの
今ぐらいの季節に
産まれた
ぼくにはまるで
顔が似てない
目がぱっちりした
女の子みたいな顔の弟君
ぼくに弟?って
びっくりされる方も
いるかとは思いますが
血はちゃんと
繋がっているのに
一緒に歩いていても
似てるとは言われた事が
殆どなかったので
余程
似てないんだと思います
本当に目がぱっちり
睫毛がくるんとして
長くてふさふさで
マッチ棒が何本乗るか?と
試したぐらいです
ぼくに色々あったのを
やっぱり気がついて
いつも庇ってくれた
なんで姉さんだけ! って
兄弟のぼくから見ても
正義感の強い
逞しい弟君
弟君も本当に色々な事は
あったと思いますよ
いつも堪えては
姉さん?って
話してくれる事もあった
ぼく以上に
辛い思いさせてしまったと
思うんだ
ごめん
でも、ぼくは
今もう会わないと思うけど
弟君が結婚出来て
一番最初の子供が
ぼくにそっくりで
あとの二人も
可愛い男の子も授かって
お嫁さんが
本当に出来た人で
家の事を
全部やってくれて
弟君をしっかり
支えて行こうって
気持ちがよくわかる人で
勝手だった
ぼくから言わせても
安心かな?
これはぼくの
大の自慢で
弟君は
本当に優しくて
お嫁さんを
休ませる日を作って
弟君が
家事、育児を全部やる
たまに二人で
デートかな?って日もある
ぼくは
本当に自分勝手な生き方しか
出来なかったから
実家に顔を出す事もなく
たまたま帰省した時に
そんな光景を見て
本当に幸せなんだろうな?
これで良かったんだな?って思うよ
あとはぼくでも
わからない
夫婦の話は
あると思うから
弟君にもだけど
うちにお嫁さんにきてくれて
本当にありがとう
こんな
ぼくから言うのも
失礼な話に
なると思うけど
弟君の側に
ずっといてあげて下さいね
by 蓮。うさぎ
 - 
          
          
もう、人の輪に
入って行こうともせず
寧ろ人が
邪魔にぐらいしか
思わなかった
貧しいぼく
小学生
高学年ぐらいかな?
いつもニコニコしてる
印象の強かった女の子が
学芸会の集まりの時に
ぼくに話しかけてきた
つんとすました
ふりしていても
内心どうしよう?って
ドキドキなぼく
ドキドキしてるから
適当な返事しか
答えてなかったと思う
いつもニコニコしてるから
目立つ女の子なのに
どうしてぼくなの?って
頭がちんぷんかんぷん
まあ、いいよ
特に意味なんかないでしょ? と
冷めてるぼく
しばらく時間が経ってから
また話しかけてくるようになり
なんとなくの人でしょ? って
ぼくの気持ち
きっと見抜いたんだね
もう、彼女
ぼくに凄い勢いで怒ってきた
いつも、うんとか
ああとかしか 答えないけど
感情ないの!?と
これも遠い記憶だから
言葉は違って
しまうかもしれないけど
彼女なりの
ぼくに体当たりだったんだよね
人の群れに入らないで
すましてばかりのぼくに
それは違うんじゃない?って
教えだったと思うんだ
ぼくもびっくりして
泣いちゃった
彼女はまだ
泣いてしまったと思う
もう周りも慌てて
ちゃんと話しなさいよ?と
促したらしいね
謝られて、彼女の言いたい事
本当によく痛感した
ロボットみたいな
感情がないぼくを
心配してくれたんだよね
人と交わろうともしない
人交わるのが
怖かったぼくには
夢のような出来事
この時をきっかけに
ぼくの小さい世界観は
少し変わったらしくて
またもう一人の
友達も出来た
三人で仲良くして
今で言う女子会をしたのは
ぼくにとっては
いい思い出だよ
ありがとう
素敵なママに
二人ともなってくれて
ありがとう
まだまだ
大変だと思うけど
もっと素敵なママになってね
期待しちゃうよ?
by 蓮。うさぎ